デザイン数字の精度はどこまで
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視覚満足度における曖昧と厳密の境は幅広いが、その判断基準は各人似たような脳内領域に常にある。
思うに、実物以上に特徴を想像させ魅せてしまう・・物まね芸・似顔絵等
程よく脳フィルターで強調・省略された曖昧さを感じるのが美の原点ではと常々思うのである。
作.品の大きさからの満足できる鑑賞距離も 美的焦点距離として自ずと決るのだろうが、えてして忠実に拡大してしまうと全く別物になるってこともある。
が、精密さも美であるとするときに、この『数』の場合精度は限りなくマクロまで追求出来るので、罠に落ちてしまう。それは潔癖症的罠とでもいうのだろうか
そこに発生するのは経済性・時間を徒労と帰す出費と そこまでいるの?の不必要なまでの成果満足度
精密さは美への感性と必ずしも正比例しないが、コストとは間違いなく正比例する。
そこには角度の1度のずれでたどり着く先が大きく違ってしまうと同等の感覚で
ほぼ3と言ってで十分な円周率も、実用では3.14でほぼ語られていてもスーパーコンピューターでまだまだ気の遠くなるようなその先を追って解析続けているようなもの
アートにおいては見た目で満足できる範囲で良い・・・・
をときどきを逸脱してきている。雑といわれるのを怖がっている
デザイン文字・文字デザインとタイポフェイス・カリグラフとの対比では、
文字の作成労苦の結果と、突出する美的鑑賞作品として成果に結び付くか?では
その2つの相関において、精密さが えもしれぬお化けとなって報われないままのおおきな違いを発生させる。
デザイン文字はえてして必要以上の拡大に耐えられない反面
タイポライターが持つ刃こぼれが許されない正確無比の苦労を背負わないですむ。
デザイン数字の表現精度はどこまでなのかは このデザイナーの課題でもある
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